来鶴廬だより | -戻る- |
月の兎 だいぶ昔のこと、そう四十年も前のことでしょうか。今思い出しても、あれは夢をみていたのだろうか、幻想だったのかと疑われることです。
上野の博物館本館の二階に上り、絵画から見てまわって、書跡の部屋に入りました。中ほどに紙本で三〇センチ四方の小品が陳列されていました。 部屋には人影もなく、薄暗くひっそりしていました。しかし、この作の周辺だけが、別の世界のように、星くずが散らばっているように、キラキラ輝いています。書かれている用紙が真綿のように真白く、ことさら美しく目に映じてきました。 その場にしばらく立ちつくしていました。仮名で書かれていましたが、読み下すことはできません。釈文には良寛「月の兎」とありました。 | ||
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良寛 月の兎帖 / 平凡社 書道全集23日本10 江戸Uより
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家に帰って平凡社書道全集日本十巻、江戸Uを開いてみましたが、はたして良寛の箇所に「月の兎」は載っていました。 後日、吉野秀雄著「やわらかな心」を読んでいましたら、偶然にも「良寛ー愛と美の真人」という章で「月の兎」にかかわる文章に出合いました。 昔々、天竺に兎と猿と狐の三匹の獣がいて、おのおの誠の心を発し、仲よく菩薩の道を実行していた。帝釈天がこの噂をきいて、獣の行いが果たしてりっぱなものかどうかをためそうと、年老いた旅人に身をやつし、さて三獣のところにやってきて、自分は貧しくて食べ物にこと欠いているが、助けてはもらえぬだろうかと頼み込むと、さすがに三獣はただちにこれを承諾して、猿は木に登って木の実をとり、里に出て畑の穀物や野菜をあつめ、また狐は墓場にいって祭ってある魚の類をもちかえって老爺に食べさせた。 ところが兎だけはどこをさがし歩いてもえものがない。 老爺も猿と狐も兎をさげすみかつはげますが、兎はどうすることもできない。ついに老爺と猿と狐に向かって薪木を拾い寄せて焚きつけることを願い、言うに、自分は無力でなに一つ老爺をもてなすすべがないことを恥ずかしくおもう。ついては自分の身体を焼いたあぶり肉を食べたまえというやいなや、燃えさかる焚火の中に躍りこんだ。 その時老爺は帝釈天のもとのすがたにかえって言うに、猿と狐もたしかに菩薩というに値するが、なかんずく兎の心がけは殊勝であると。そしてその亡骸を抱いて月の世界に昇ったという。この説話はさまざまの漢書、仏典にでているようですし、日本のものとしては今昔物語巻五の「三獣菩薩の道を行じ、兎身を焼ける話」に見えているということです。 |
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良寛 月の兎帖 / 平凡社 書道全集23日本10 江戸Uより |
良寛がこの兎の自己捨身の精神にどれだけ感動したかは、「月の兎」または「三たりの友」という題の長歌を詠んで、その墨蹟を幾とおりにもとどめていることによっても明らかです。 私が見た「月の兎」はそのうちの一つで、良寛がこれを吟じ、これを揮毫しつつ文字どおり「衣の袖」を「とほりて濡れる」まで熱涙を流したことでありましょう。 私の未熟な感覚をもってしても、良寛の熱い想いが紙本に凝縮して私の心をゆすぶったのです。私が書するとき、折にふれて思い出すことです。 いま、「読める書」「読めない書」がよく話しに上ります。私は、読めればこれにこしたことはないと思いますが、読めれば「いい書」とも言えますまい。たとえ読めなくとも、書き手が心底から書きたいと欲求し、対象に強く衝き動かされさえすれば、見る側にそれが感応されるものと信じたいのです。 そうは思っても、私の情感がひからびてしまっているのか、なかなか高まらない自分を感じるのはさびしいところです。 |
2006年1月 碧巌
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