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『やっと抜けてきたな』 これは横浜そごう美術館で開かれた神奈川新聞社主催の書展に出した私の作品に対する老僧晃俊師の感想の弁です。 老僧晃俊師は常には耳の痛い言を吐くことが多いのですが、私の顔を見るなり、さりげなく話されました。 私は何が抜けて自分本来のものになりつつあるのか、自分本来のものとは何かに少しも未だによくわかっていません。 ただ最近はどんなに精進して腕が達者に動けるようになっても、心が開かれていなければ書は生き生きしたものにはならないと私は思っています。 書をかく時にこだわらないこと、気張らないこと言い換えれば感受性の硬直に陥らないことにいささか意を注いできたので、この言はことさらに嬉しく思いました。 書は大島撫山、ー山先生に四十年を越す歳月それこそ懇切な手ほどきを受けました。そのー山先生は九年前に他界され、そして私は中央の書壇から遠ざかりました。私をとりまく環境の変化は自然の成り行きだったのですが、今までの書に対する構えが次第に溶解していきました。 それには私の歩いていく道は私が決めていくことに思い至りました。 老僧の弁は私が十才の時に父と死別し、その翌年から今まで頑迷な私を見続けてきた長い時間の移りゆくさまの言に由るものと思うと粛然とします。 昨年大腸ガンで入院手術され、本人は体力が落ちたと言われますが歩く姿は宙に屹立する感があります。何でも承知していて口には出さず腹に蔵っていることが多いのに時に洩れる口吻は禅家のように鋭いものです。雑談の折、書は心の動きを読めばわかるものだと話されたのには驚きました。 書の師は大島撫山、ー山先生で書に向かう真摯な態度を学びました。そして加えて老僧生方晃俊師は人生の師と言えます。その存在は私にとって益々大きくなっていきます。 | ||
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2007年11月 碧巌
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