来鶴廬
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はちすはとおり
 
   越後線小島谷駅下車。分水良寛史料館長から木村家は先年の地震の被害で現在閉鎖されていると聞いてはいたが、良寛終焉の地を三十年ぶりの再訪で様子知りたかった。
 
 二十分歩いて車道から脇に入ると大きな石碑「良寛終焉の地」が板囲いでわずかに窺かれた。
 
 すぐ裏の隆泉寺に「良寛禅師之墓」弟「由之宗近之墓」が列んでいる。
 
 木村家から良寛の里美術館までの道を良寛が晩年に出会った貞心尼の歌集「はちすの露」にちなんで「はちすはとおり」と名付けられている
 
 両側の家並のあちこちに大きな甕に蓮の花も終わって蜂の巣状の花托や大きな葉が直立して伸びている。花の盛りを思い遣る。
 
 行きかう尼僧や老婆は軽く頭を下げ、挨拶される。幼児を遊んでいた婦人も物腰低く尋ねに答えてくれた。
 
 曼珠沙華、露草、あざみ、コスモスなど名のしれぬ野花も処々に咲いて雰囲気の良い、古い言いかたであるが良寛の遺風がしのばれる三町ほどの道のりであった。
 
 
                           2009年10月  碧ー 
 
 
 
ryoukandaikokuya
 
 
    
越後出雲崎大黒屋さん包装紙

 

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